傾聴からひらく未来
2021年10月18日開催予定
第7回「わたしたちの未来」への話題提供(9月28日修正)
第7回「わたしたちの未来」への話題提供(9月28日修正)
「わたしは くちべたです」というと笑われるのですが,本当です。こどものころから人づきあいが苦手であり,自分に自信をもてない,落ちつきのない子どもでした。親からはほめられた記憶がありません。そのころから くちべた が身についてしまったとおもいます。
しかし小学校後半から中学校にかけて,よい先生にめぐまれたような気がします。演劇や音楽の課題で,何人かの先生が,ありのままの自分をはっきりと肯定してくれたような記憶があります。
しかし小学校後半から中学校にかけて,よい先生にめぐまれたような気がします。演劇や音楽の課題で,何人かの先生が,ありのままの自分をはっきりと肯定してくれたような記憶があります。
「ありのままの相手をはっきりと肯定する」というのは「傾聴」と似ていますね。
「傾聴」とは,PTSD など心に負担をせおっている人を支援する場面でよくつかわれるコトバです。相手の気持ちを否定せずに,共感的理解をもってしっかりと聴くこと,助言や指示はしないが一緒に考えること,といえるでしょうか。対人支援の方法として専門家や NGO によって研究・実践されているようです。直接,人間にかかわる場面ですので,きちんとした研修を受けるなり,準備が必要と考えられます。しかし,傾聴は,かならずしも相手に対する一方的な奉仕とか,親切の方法ではなく,自他ともに真実にちかづく貴重な方法である,ということを見ておく必要があります。ここに未来へのヒントがあります。
この 10 年をふりかえりますと,原発事故の加害者たちが裁判で責任を認めないだけでなく「国民のみなさんは風評加害者にならないように」という威圧的宣伝が(一部の学者や環境大臣によって)現在もおこなわれており,被害者と市民にとって展望が見えにくい状況になっています。
一方で,被害者の本当の気持ちを理解しないまま,善意の支援者が被害者を激励し,ひっぱりまわす,といった現象は残念ながらいくつもありました。それだけでも危険なことですが,もしそうした善意のリーダーの視野がせまく,判断がまちがっていれば,その運動の結果は当然にまちがったものになり,深刻な二次被害や,被害者群のなかに敵対や侮辱や排除をつくりだすおそれもあります。
もし,民衆のなかに無数の分断がうまれ,人々が孤立し,選挙にも行かず,市民運動(社会活動)にも参加せず,ひきこもり,沈黙してひっそりと生きていくならば,不正な権力者にとって,なんとありがたいことでしょう。そして,未来ある若者には,なんと困難な未来が待っていることでしょう。
空に向かって大声でよびかけても,状況は変わらないでしょう。そこで,とくに未来ある若者に伝えたいことは,まずは地上で,傾聴の智恵を基礎にした一対一の人間関係をつくれるようになり,それを市民活動にひろげてほしいということです。傾聴は,世界のさまざまな個人や団体との連携をつくることにも通用する智恵であり,社会変革の展望を助けます。そこから知性,勇気,行動力を育ててくれるでしょう。
傾聴とともに大切な自己点検
傾聴は,相手の話をじっくり聴くわけですが,もしただ聴くだけで終わり,自分の感想も意見も伝えないのであれば,それは誠実さに欠けることになるでしょう。状況にもよりますが,相手を否定しない範囲で,そして助言や指示をしない範囲で,感想や意見をのべることは一緒に考えるというステップとしてありえます。その過程で,こちらの内部にも疑問やヒントがみつかります。それをやりとりしながら一緒に考えていくならば,双方にあたらしい発見もありうるでしょう。
傾聴と自己点検には共通点があります。どちらも,その過程がすすむにつれてあたらしい発見や進歩があるということです。
あたりまえのことですが,仲間から聞いたことや,自分が思いついたことが常に正しいとは限りません。それが本当に正しいのか,自分で調べて点検しなければなりません。これを自己点検とよぶことにします。自己点検とは,自分自身のまちがいや弱点を発見する過程でもあります。傾聴もまた,自分自身のまちがいや弱点を発見する過程でもあります。
自己点検ではいくつかの原則があります。時間座標,空間座標,社会関係の構造から全体の視野をもつこと,なにが伝聞で,なにが推測で,なにが事実であるのか,確認をとること,よく知らないことは断定しないこと,そして調べることです。
文章や講演などでは,内容は正確か,表現は適切か,コトバや文字や記号の用法は適切か,といった表現にかかわる自己点検も必要になります。まちがいがわかれば訂正をし,あるいは引き返すこともありえます。傾聴でも自己点検でも,必要なときは引き返すこと,これが大事です。
市民運動は時間的にはいつまでやればよいのでしょう? 東京電力福島原発大惨事でさまざまな苦しみを受けた人たちのなかには,「私たちの世代で解決したい,この苦しみを子どもたちにひきつぐわけにはいかない」とよくいわれます。まことにそのとおりだとおもいます。
しかし,チェルノブィリの例を考えると,おそらく原発事故の身体的精神的影響は,ひかえめにみても数十年は続くであろうし,エネルギー政策や環境政策の意味で原発ゼロの世界を実現することは,さらにケタちがいの長い時間がかかるであろうと考えられます。原発事故はそれだけ世界の歴史にきざまれる事故であり,負の遺産になっています。事故から10年という現在の時間座標は,客観的には,事故はまだ始まったばかりだということです。
しかし,チェルノブィリの例を考えると,おそらく原発事故の身体的精神的影響は,ひかえめにみても数十年は続くであろうし,エネルギー政策や環境政策の意味で原発ゼロの世界を実現することは,さらにケタちがいの長い時間がかかるであろうと考えられます。原発事故はそれだけ世界の歴史にきざまれる事故であり,負の遺産になっています。事故から10年という現在の時間座標は,客観的には,事故はまだ始まったばかりだということです。
したがって,残念ながら,市民運動も一生つづく課題です。ただそこでどんな運動に参加するのか,どんな運動をつくるのかは,自由に考える可能性はあるとおもわれます。自分らしい運動のしかたというものがありうるはずです。
自分だけがひっそりと孤立して生きていくことは,楽な道のように見えますが,人とのつながりを失い,圧倒的な情報の洪水に流され,希望を失う道につながるでしょう。
自分だけがひっそりと孤立して生きていくことは,楽な道のように見えますが,人とのつながりを失い,圧倒的な情報の洪水に流され,希望を失う道につながるでしょう。
時間的視野の長い運動にとりくむためには,一番基礎になる一対一の人間関係のありかたがしっかりしていないと崩壊の危険があります。
傾聴と自己点検は個人対個人のありかたであると同時に,集団のありかたとしても不可欠です。ちがった意見を丁寧に検討すること,疑問から事実調査へ,批判的討論からつぎの展開へとすすめること,それは集団指導の原則です。むしろ傾聴と自己点検が集団のありかたとして採用されて,はじめて市民運動が可能になるのであり,傾聴と自己点検によって質を維持し,高めつつ,仲間をふやし,組織していくことが市民運動の基本になり,希望の基礎になるのではないでしょうか? まずは一対一の関係づくりから始めるしかありません。
ルールのない,ゆるやかな集まりもひとつの方法ではありますが,こうした考えかたを団体の規約や活動方針のなかに簡潔に構造化(明文化)していくという方法もありえます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
当初の文はここまでだったのですが,なにか書き残したことがありそうな気がします。
傾聴に対立する思想である,敵意と侮辱と排除について,です。
善意や熱意,正義感,あるいは責任感の動機に燃える人は,自分の判断や行動を正しいと信じておられるとおもいます。ま,それだからこそ,力づよいエネルギッシュな行動をつづけることができるのでしょう。しかし,自分を動かしている動機がいくら燃えあがるように正しいものであっても,そこから出てくる知識や判断や行動がすべて正しいとは限らないことに気をつける必要があります。いえ,お説教をするつもりはありません。
あるとき,相談ということでもないのですが,仲間同士の争いがおきている,という話をききました。ちょっとした判断のちがいで,仲間からにらみつけられ,罵倒されているというのです。
それを聞いた人がふともらしたのは,「にらみつけられ,罵倒されても同じものを返さないことです。やさしいほほえみを返しましょう。争いを構えない人が真の自由を獲得するのです」というものでした。すると,あら不思議,いつのまにか争いは消えました。
相手から自分に対して敵意や侮辱をぶつけられても,同じものを返してはいけないし,どんな状況でも,自分から他人に対して敵意や侮辱をいだいてはいけない,ということを学んだのです。
敵意や侮辱は自分の冷静さを失わせ,自分が自由を失うのです。それだけでなく,傾聴ができなくなり,真実に近づく可能性が失われるのです。
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当初の文はここまでだったのですが,なにか書き残したことがありそうな気がします。
傾聴に対立する思想である,敵意と侮辱と排除について,です。
善意や熱意,正義感,あるいは責任感の動機に燃える人は,自分の判断や行動を正しいと信じておられるとおもいます。ま,それだからこそ,力づよいエネルギッシュな行動をつづけることができるのでしょう。しかし,自分を動かしている動機がいくら燃えあがるように正しいものであっても,そこから出てくる知識や判断や行動がすべて正しいとは限らないことに気をつける必要があります。いえ,お説教をするつもりはありません。
あるとき,相談ということでもないのですが,仲間同士の争いがおきている,という話をききました。ちょっとした判断のちがいで,仲間からにらみつけられ,罵倒されているというのです。
それを聞いた人がふともらしたのは,「にらみつけられ,罵倒されても同じものを返さないことです。やさしいほほえみを返しましょう。争いを構えない人が真の自由を獲得するのです」というものでした。すると,あら不思議,いつのまにか争いは消えました。
相手から自分に対して敵意や侮辱をぶつけられても,同じものを返してはいけないし,どんな状況でも,自分から他人に対して敵意や侮辱をいだいてはいけない,ということを学んだのです。
敵意や侮辱は自分の冷静さを失わせ,自分が自由を失うのです。それだけでなく,傾聴ができなくなり,真実に近づく可能性が失われるのです。
未来のためにともに祈りましょう。
寺本 和泉
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(参考映像)
婦人国際平和自由連盟(WILPF) 日本支部
『福島を聴く見る測る ーWILPF の福島レポート-』
41:15-48:30 分断と傾聴について(平田安子さん,ふくいちモニタリングプロジェクト,南相馬市)
52:47 一番なによりもこわいのはやっぱり復興の名のもとに汚染が存在しているにもかかわらず,風化がどんどん進んでいることです。現地の方々はなにもいえない雰囲気,閉塞感があって怒りとか不安とかを持っていらっしゃいます。そんななかでもなんとか自分たちの情報を外に伝えてほしい,そういう気持ちを持っていらっしゃいます。私たちにできることはこの状況に風穴をあけて,なるべく事実を知り,それを伝えていくこと,そして理解している人を増やしていく。それしかないのではないかなと思っています。(佐尾和子さん,WILPF 日本支部)
(ツイッターから)
杉原こうじ(NAJAT・緑の党)@kojiskojis
グレタ・トゥーンベリ 「私は楽観主義者なのか、悲観主義者なのかとよく聞かれます。しかし、希望によって行動が左右されるわけではありません。行動することで希望が生まれるのです。行動こそが希望なのです」
Action is hope.
2021年7月18日、BS朝日
@GretaThunberg
(参考図書)
(参考図書)
「政府は必ず嘘をつく」 増補版
堤 未果著,角川書店
堤 未果著,角川書店
https://www.kadokawa.co.jp/product/321509000533/
編注: 被害者だけでなく,未来に関心をもつすべての市民の必読書として推薦しておきたいとおもいます。新書版と電子版が出ています。(2012 年 2 月の角川 SSC 新書版でもよいとおもいます。)
編注: 被害者だけでなく,未来に関心をもつすべての市民の必読書として推薦しておきたいとおもいます。新書版と電子版が出ています。(2012 年 2 月の角川 SSC 新書版でもよいとおもいます。)
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